★「なんだかうれしい!」てんらんかい/開催中ー8月31日(愛知県児童総合センター)


by kousinnkyoku
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリ:和紙のちらし彫刻( 3 )

和紙のちらし彫刻展
f0176129_2315245.jpg

8月3日に作った「和紙のちらし彫刻」のうちいくつかが、和紙のふるさとで展示されています。

あの日は兵庫や大阪からもお手伝いに来てくれた人がいて、とても助けになりました。大阪から来てくれた加藤巧くんは、自分のアトリエで木を小さく切ってロウで煮た「積み木スタンプ」を作って来てくれて、これは「しょうがく感」でもなかなか重宝しました。
[PR]
by kousinnkyoku | 2008-08-19 23:14 | 和紙のちらし彫刻
和紙のちらし彫刻

昨日から泊まりがけで和紙のふるさとに来ています。
泊まった品野屋の料理がすごかった。

今日はおまつり本番、和紙のちらし彫刻で、たくさん遊びました。

小さい子や大きい子や、おじいちゃんおばあちゃんやガールスカウトやスロベニアのお兄さんや、いろいろなひとと遊びました。隣でコンサートをしていたミュージシャン、ふるもとゆうこさんも遊んでくれて、CDもいただいてしまった。

和紙にスタンプでたくさん模様を作って、それをもとにつくったオリガミ彫刻でトントン相撲対決をします。さぶろく版の巨大和紙ちらし彫刻もしました。10人ががりでスタンプして、折り曲げて、畳をみんなで思い切り叩いて相撲をとりました。

何回もあそんでくれた5才くらいの女の子が、何回めかに「あたしこれはじめてなの」といいました。何回もやってるけど「はじめて」なのか、というのが面白かった。

和紙の原料のコウゾで遊ぶ場所も作って、出来たちらし彫刻をかざる場所にもしてあったので、一日が終わるとなかなかいい空間になっていました。
[PR]
by kousinnkyoku | 2008-08-03 19:44 | 和紙のちらし彫刻
不可思議で稀有

和紙のふるさとの学芸員、奥村紀美さんが、ぼくの紹介文を書いてくれました。あさっての夏祭り「和紙良いフェスタ」のスタッフに配ってくれるらしい。ふつう紹介というと経歴に多少コメントが付くくらいだと思うのだけど、もはや紹介文とは言えないくらいにいろいろ書いてあるのが面白いです。

★「紙ずもう」

 宮田篤は愛知県芸大学院の油彩画専攻の2年生だ。
けれど彼の作品は単なる油絵という言葉では語れない。

 彼の個展は、いつも宮田篤自身がいないと成立しない。
初めて彼に会ったのは、今年厳寒の2月の個展の会場だった。
 初対面の彼の印象はとてもインパクトがあった。自分は迎えられる側で、彼は心なしか少し虚勢をはってるみたいな感じがした。
 このとき、彼は美術館や博物館の企画展をPRするチラシを手渡してきた。よく見るとこれらには意図して定規で引かれたのではない、企画展のタイトルや会場や日づけの文字が入ったライン、または載っている写真の端などの「直線」がある。
 「はい、このチラシの中にある直線をみつけて、それをガイドに紙を折っていきましょう!」
 折り線をつけた紙が立ち上がって、彫刻ができる。すると「君が折ったのと、僕が折ったのと、どっちが強いか、相撲しましょう!」と誘った。

 またここで彼のもう一つの作品に出会った。それはA4のコピー紙を二つに折る。表裏合わせて4つのページができる。そのページのそれぞれにまずは宮田氏が思い浮かぶ言葉をつづる。あくまで一つの例だけど、次のような感じ。
「今日ぼくは」(1ページ目)
「本屋に寄ってまんがを立ち読みし、」(2ページ目)
「帰りにコンビ二に行って弁当を買ったら」(3ページ目)
「友達に会って、いっしょに弁当を食べた。」(4ぺージ目)
彼はその次に、またもう一枚、同じように折った紙を手渡し、先の紙を見開きにした間に新しい紙を加えて言う。
 「これは微分帳です。ここに君が考えた言葉を書き入れて、どんどん微分していきましょう! 筋は通ってもいいし、ぜんぜん通らなくてもいい。」

 つまりお客は2ページ目と3ページ目の間に自分の考えた言葉や物語を4ぺージ分、挟みこまなくてはならない。お客は悩む。悩みながらも、たいてい数分でそれなりにやはりどうしても物語のようにつながった文句を4パターン加え、しだいに壮大で摩訶不思議なストーリーが広がっていく。
 完成したストーリーを彼が読み上げる。お客はたいてい「へぇ~」と驚きを含めた照れたような、なっとくしたような笑みを浮かべる。
 この微分帳はさらに同じ人か、もしくは次に来た人が、また4ページ目と5ページ目の間にストーリーを付け加えていくこともある。つまり、ふつうの小説なら、書き出しがあってその次、次・・・と後に物語が付け加えられていくものだが、この方法だと、書き出しと終わりは決まっていて、中の物語がどんどん細かく詳しく、ときには支離滅裂に「微分」されていくのだ。

 こんな対面式の「アート」はとても気力を消耗させる。12日間ほどの個展の終了後、イベントのことで連絡をとろうとしたら一時音信不通だった。その後のメールには
「すみません。昨日は一日 ぶったおれてました。」とあった。
・・・そうだろうねえ。昔、ショッピングセンターでクレジットカード入会勧誘のアルバイトをしたことがある。 そもそも滅多に入会してくれる人なんていやしないのだから、人と見たらかたっぱしから声をかける。立ち止まってもらう人が表れるまで呼びかけ続ける・・・このバイトの方が迷惑顔をされたり、足が痛くなったりとストレス度は高いように思う。けど個展での宮田氏もひょうひょうとしてるようで実はなかなか真剣にたくみにお客を自分のワールドに引きもうとしている。勧誘のバイトで神経を消耗させるのとおんなじようなものだろう。
 
 二度目に彼に会ったのは、3月。今度は仲間とともに「和紙のふるさと」に来てもらった。
このときは、旅行気分も手伝ってか、皆とてもリラックスしていた。なんと2回も「字すき」で、文字ではなく、彼がよく描いているような男のコと女のコの絵を文字で描きあげた。
「(和紙の体験メニューは)ふつうに画材をそろえるより、よっぽど安くておもしろい!」と目を輝かせた。

 彼の描く油絵のおもなものは、原色をバックにどこか「アダムとイヴ」を想わせるような、男のコと女のコの顔が重なっている厚塗りのポップなものだ。ほかには一見マンガのようなパンクなペン画。
 けれど、「紙相撲」や「微分帳」は、むろん「油絵」やペン画とはまったく違う。
 県芸のプレ・ワークにお邪魔した時、素朴な疑問をぶつけた。果たして芸大のセンセイたちは宮田君の作品をどう講評するの?
 「あんまり何も言われないっすよ。」  すらっと彼は言った。
・・・やっぱり。そうだろうねえ。
アカデミックな芸大の先生たちは彼の「作品」を評価しようがないだろう。

 言葉や活字を作品に組み込んでいる現代アーティストを何人かは知ってる。ビデオ・アートでコミュニケーションを題材にしているものを何作か見たことはある。私は宮田氏に会ってからずっと、彼のようなアーティストにどこかで会ったような、もしくはどっかでそういう人の作品を見たような気がする。 気がする 気がする・・・・と一生懸命思い出そうとしている。
・・・が、思い出せない。彼に似たようなアーティストはたぶん存在しない。


 そういうとっても不可思議で稀有な存在の、宮田氏の作品たちを、私は今ここでとても単純に「コミュニケーション・アート」と名づけさせていただく。
お金持ちというわけじゃけっしてなく、ただ絵が好きなだけの自分はたいてい、美術鑑賞とは手元に置いて楽しむものじゃなく「美術館の作品に会いに行くもの」と思っている。またさらに、自分みたいな美術バカじゃなく、ふつうの美術館に来る人たちは、いくらか入館料を払っていることもあり、いちおう真剣にそのときは並んでいる作品を見て、「ふーん」とか「へー」とか思うけど、その後 そのときに感じたことをいつまでも記憶にとどめておいたりはしないだろう。
彼の「作品」たちは、宮田篤を通じて、お客がいつのまにか彼の作り出す世界にいっとき「対面」し、ちょっとしたおどろきとか感動を抱く というところが、美術館に飾られている作品たちと共通項なところだと思う。
けど、もちろんかならずしも忘れ去られるばかりでもない。
ここに来た人たちがいつか何かの瞬間に、この「和紙のふるさと」で彼と紙相撲をしたことを思い出してくれることがあるかもしれない。そうであることを願っている。
そして宮田氏たちもいつか、ここに来て和紙で紙相撲大会をし、楮のネットの中へお客さんたちを案内したことを思い出すことがあるかもしれない。そうであることを願っている。(奥村紀美/和紙のふるさと学芸員)
[PR]
by kousinnkyoku | 2008-08-01 17:25 | 和紙のちらし彫刻